今までのこと

【強烈な自己否定癖を緩めるまでに辿った道のり(全5話)】2話「進むたびに深まる自分への違和感。そして根源に気づいた瞬間」

レイ

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コーチングの中で直面した3つの違和感

コーチに対して申し訳ない

私が契約したのは12回のセッション。3回までは自分の過去の棚卸から強みをみつけ、それ以降は月に1度のセッションで自分のゴール(目標)に向けたアクション設定と振り返りを繰り返していく。

キャリアコーチングを受ける決断をした理由を簡単に話しておくと、入社2年目あたりから転職がしたいという想いがあったけれど、20代後半に突入しても踏み出す勇気がなかったから。

このまま今の会社にいても成長できない気がしていたし、会社そのものにも強い息苦しさを感じていた。

だから、大きなお金を払って、プレッシャーをかけて、自分から環境を変えに行こうと思った。
「普通の人は、こんな大きな決断はできない。これで私は変われる」
そう本気で思っていた。

でも、実際にセッションが始まると、それ以前の問題に直面することになる。

コーチが怖い。

威圧的な人だったわけじゃない。むしろ穏やか。キャリアの面で活躍している方だが、話している感じは普通の少し年上のお兄さんという印象だった。

でも…

怖い怖い怖い…

「相手が何を考えているか分からない」という状況に、異常なほど緊張してしまった。そして、上手く自分のことを話せないことに申し訳なかった。

自分にとって有意義な時間に出来なかったことへの反省ではない。

相手の時間を無駄にしてしまったことへの申し訳なさが強烈だった。

自分の人生、自分で選択してきたという感覚がない

セッションの中では自分の過去を振り返って、自分の強みを発見するワークを行うのだけれど、どれだけ行動を振り返っても、そこに「自分で選択した」という感覚がなかったのだ。

進学も、プライベートも、仕事も、何もかも。

きっと自分で決めているはずなのに、そこに何もない。

姉と同じで良かったから。お金がもったいない。こんなのは無駄だからこっちでいい。

そんなことばかり。

まあ、これも立派な自分の選択基準とはいえるのだろうけど、なんだかしっくりこない。参加している感がない。

「…私が最後に自分の意志で、何かを決めたのは、いつが最後だったっけ?」

コーチとの振り返りの時に、そんな疑問を吐き出している自分がいた。

どれだけ行動を起こしても、何も感じない。

セッションごとにゴール(目標)を決めて、それに対するアクションを実行。それを繰り返していく。当初は転職したいという目標があったけれど、一旦現職での目標を立ててそれを実行していった。

アクションを実行していく中で、やれることは増えた。職場の人からも「最近変わってきたね」「明るくなったよね」と、声をかけてもらうことも増えた。

行動的にはなれているけど…

でも、当の私は、なんだかよくわからなかった。

「今、何を感じますか?」

セッション中や、アクションを実行したことをLINEで連絡した時に、コーチから決まって問われること。

それに答えられない。どう答えたらいいのか分からない。そしてなぜか決まって涙がこぼれてしまう。緊張しているとか、伝えるのが怖いとかではない。

代わりに頭に浮かぶのは、「どう感じて欲しいですか?」ということばかりだった。

「いつからその感覚ってありましたか?」

「…わからないんです」

そう答えることしか出来ない私が、自分でもなんだか怖かった。自分が情けなくて仕方がなかった。

違和感を深堀りした先に見つけた、強い自己否定感への根源。あの頃の家族への恐怖と申し訳なさ

自分への違和感がどこから来るのか、ずっと戸惑いを抱えながら、セッションも9回目となった。

仕事だけでなく人生全体で何かゴールを決めようという話になった。でも仕事以外になにも思いつかない。

いや、違う。

「何事に対しても、何もやってはいけない気がしちゃうんです」とこぼれ出た。

結局セッション中は、片手で数えられる程度の、それもすぐに叶えられるようなことしか思いつかず、終了。

でも、ひとりで考えている時間に、ふっと降りてきたものがあった。

毎週連絡を取っている母。そんな母に連絡をしてみるのをやめてみようと。

それまでの私は、新卒で一人暮らしを始めて以降、ほぼ毎週決まって母にLINE電話をしていた。別に、特に求められたわけでもないけれど。本当にたわいのない会話。でもその中で、私はいつも自分の行動を逐一母に話していた。

そうして試しに、1ヶ月近く、こちらから連絡をやめてみた。

感じたことは「恐怖」と「申し訳なさ」だった。

また余計な心配をかけるんじゃないか、母に「自分が悪いんだ」と思わせるかもという恐怖。祖父の介護を頑張っているのに無視しているような申し訳なさ。

…恐怖?なんで恐怖?

私は兄弟の中でも特に母と仲がいいはずだ。大学生の時も兄弟のなかで私だけが家を出なかった。たくさん一緒に買い物に出かけて、カフェで沢山おしゃべりしているのも私だ。家族で一番側にいた。

そんな母に対して「恐怖」という言葉が出た。そのことが衝撃的だった。本当に訳が分からない。

10回目のセッションで、コーチに問われた。「レイさん、いつからその感覚がありますか?」

この問い。この問いが、自分でも無意識に押し込めていたトラウマの蓋を開いてしまった。

確かに、私の家族は仲がいい。たくさん喧嘩もしたけど、たくさん笑い合える。本当に大切な家族だ。

でも、一時期そうじゃなかったときもあった。

それは、私がまだ小学生の頃。私の家族の関係は荒れていたように思う。

父は調子に乗ってしまうと母を馬鹿にするようなことを言う人で、当時、繊細な母はいつもそれに傷ついていたようだった。でも、父のおかげで生活できているのだからと、自分を卑下していた。昔の話をするとたまに複雑そうな感じを受け取れるから、きっとほかにも私にはわからない想いをたくさん抱えていたのだろう。精神的に参って頻繁に泣き出してしまったり、飲めないお酒を飲んで廊下でうずくまってしまったりするときもあった。

さらに、姉が中学生の頃、父との関係が悪化したことや学校でのいじめをきっかけに荒れてしまっていた。(いじめがきっかけだったことを知るのはもっと後のこと。)

そんな、荒れていく家を見て、私は「我儘を言っちゃいけない。弟もいるんだ。おとなしくしないと。迷惑を掛けるようなことはしてはいけないんだ」と強く思うようになった。

それなのに、荒れた姉のようにならず、我儘を言わずに過ごしたのに。

高校にあがる頃には、前向きになった姉と比較され、進路も自分の意志で決めきれず迷う私は「何であんたはいつまでもそうなんだ」と呆れられた。泣くことしか出来なかった。

一つ思い出すと、さらに色んなことが蘇ってきた。

母を怒らせてしまったときに「恥をかかせるな」と叱責されたこと

母を怒らせたとき真夜中に外に放りだされて、怖くて泣いていると友達が心配して窓から声をかけてくれた。でも、それに気づいた母から家に入れてもらった後「仲間を呼びやがって」と吐き捨てるように言われたこと

いつしか私は、自分さえいなければいいと思うようになっていた。迷惑を掛けないように生きなければと思った。でも、結局は私が一番迷惑を掛けた。

ここだ、ここにあった。

冗談だって思われるかもしれないけれど、本当にそれまで忘れていた。いや、荒れていたことは覚えていたけど、その時、その場にいた幼い自分の感情。それらが津波の如く一気に押し寄せてくる。

今までの臆病で弱い自分の原因が自分のせいじゃないって気づいたら、楽になれると思うでしょう?

でも、ここからが本当に苦しい日々の始まりでした。

つづく

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ABOUT ME
レイ
レイ
1996年生まれの社会人
【週1(土曜日の夜)+不定期の更新です。】 自他ともに認めるかなり繊細な性格。大学生の時には半年メンタルタウンで休学したり社会人5年目で休職経験したり。なんやかんやありつつも人生を楽しんでいる私のブログです。「こんな人間もおるんやなぁ」とのんびり見てもらえたら嬉しいです(*´ω`*)
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